IRABU SHIMOJI伊良部・下地島

漁師の町伝説の島

2015年1月に待望の伊良部大橋が完成し、交通の便が非常に良くなりました。その伊良部大橋を渡った先が、「伊良部島」と「下地島」です。
あたかもこの2つの島は1つのくっついた島のように見えますが、せまい水道によってわけられております。 この水道は、せまいところで30メートルくらい、広いところでも200メートルくらいの幅で東西に延びており曲折に富んだ美しい小さな海峡が太平洋と東シナ海を結んで、あたかも島を流れる川のようになっています。 現在は5つの橋がこの水道をまたいで両島を結んでおります。
下地島はつい最近まで無人島でありましたが、この島に昭和54年わが国初のパイロット訓練飛行場が開港され、国内で活躍する多くのパイロットはここで訓練を行うことになっております。

この下地島に「通り池」と呼ばれる不気味な二つの池があります。通り池は、下地島空港の南、島の南端の荒々しい岩場の中にぽっかりと口を開け、どす黒い水をたたえて静かに2つ並んでいます。
池の直径は約85メートルくらい、水深は40メートルを超えるということです。2の池は水面ギリギリのところでトンネル状につながっております。 このため「通り池」の名がついたということです。更に南側の池は、水深40メートルくらいのところで太平洋とつながっているため、潮の干満に依って両方の池の水位も違うとのことです。
2の池は長年海水の浸食を受けて周囲の壁にノッヂがかかっており、池の口径よりも水面が広くなっているため一度池に落ちたら自力ではい上がることは出来ません。 それだけに黒くよどんだ水の色と、静まり返った通り池の景観は不気味で、更にこの池に古くから伝わる伝説がこの不気味さをいっそう強調しております。
しかし現在では、太公望らが大物釣りのポイントとして、また各地から訪れるダイバーのダイビングポイントとして人気のある観光地であります。

ヨナタマの伝説

その昔、下地島にはたくさんの人家があって多くの人々が半農半漁の生活をしていたといわれております。
ある日、一人の漁師がヨナタマという魚を釣り上げました。この魚は顔は人間と同じで体は魚であったといわれています。今で言う人魚であったわけです。

漁師はこの様な魚はめったに見られないし一人で食べるよりは、隣の人たちをも呼び集めてみんなに見せ、その後に食べようと思い、その夜は炭火の上で乾かしておくことにしました。
夜も更けて村の人皆が寝静まる頃、漁師の後ろ隣の子供が急に泣き出していくらあやしても泣きやみませんでした。 その子の母は泣きじゃくる子供を抱いて外にでると、子供が伊良部へ行こうと母に抱きついて震えながら、なお泣き続けるのでした。
母も仕方なく伊良部に行こうと思って歩き出すと、はるか海の方から「ヨナタマよ~、ヨナタマよ~、何故今まで帰らないのか、早く帰りなさい」と言う声が聞こえてきました。
すると隣の家から子供が泣くような声がして「私は今、炭火の上に乗せられて焼き殺されようとしています。早く津波を送って助けてくれ」と答えているではありませんか。

びっくりしたこの母子は命からがら大急ぎで伊良部島に逃れました。するとまもなく大津波が押し寄せて島中を洗い流してしまいました。
そのとき漁師の家と隣の家が地中に落ち込み、今の通り池となったということです。又、島中の家や人や畑等がすべて洗い流されたため、下地島は無人島となったと語り伝えられております。

継子伝説

昔、下地島にたくさんの人々が住んでいた頃のお話です。
ある男が妻に先立たれて、幼い一人の男の子と暮らしておりました。彼は漁夫で小舟を使って漁をしていたと言うことです。 そのため潮かげんに依っては、幼い子供を一家に残して漁に出なければならず、時には一晩中、漁に出たまま帰らないこともありました。
こうしたことからどうしても後妻を貰わなければならなくなり、彼は新しい妻を迎えました。

新しい妻との間にも程なく男の子が産まれました。二人の子供は異母兄弟として仲良く育ちました。
しかし、この女は、継子である上の子供をことのほか憎んでいて、何とか殺してしまいたいと常日頃から考えておりました。
そのようなことは夫には全く知られないように用心深くかわいがっているふりをしました。ある日、夫は夜を徹して漁に出ることになりました。
継母はこの日を待っていたのです。漁に出た父親の帰りを通り池で待とうと言って、女は二人の子供を連れて家を出ました。 通り池のあたりで父親の帰りを待つうちに夜もだんだん深くなってきました。継母は通り池のふちに適当な場所を探して二人の子供を寝かせ、自分も添い寝をしていました。
しばらくすると下の子供が目を覚まして兄に言うには「岩がごつごつして眠りにくいから、寝る場所をかわってくれ」というのです。 兄は弟のわがままを承知して寝る場所をかわりました。継母はこのことに気がつかず、ぐっすりと眠っておりました。

そして、夜も深々と更けた頃、継母は目を覚ますと、寝返りを打つ振りをして下の方に寝かせてあった子供を通り池に突き落としました。そして上の方に寝かせてあった子供を抱えると、一目散にその場を逃げ出したということです。 子供の悲鳴と大きな水音を後にのこして女は夢中になって逃げ出しました。そうして部落近くまで来るとようやく気を静めて一息つきました。
この時自分が必死になって抱えてきた子供が「弟はどうしたの」と聞いたので、よく見ると今、通り池に突き落としたはずの継子を抱えているではないか。 女は初めて自分が通り池に突き落とした子供が自分の実子であることに気がつきました。 意外なことに気付いた女は、抱いてきた継子を放り投げると、自分の子の名前を呼びながら通り池に向かって走り出しました。
しかし、今更どうすることも出来ず、とうとう女は気が狂ってしまったということです。

一説には、継子が母親のたくらみに気づいて、こっそりと弟の眠る場所を取り替えておいたという話も伝わっておりますが、いずれにしましても、今日では、継子といえども同じように可愛がって育てねばならないという教訓として広く各地で語り伝えられております。

この話は、通り池の中、南側の池にまつわる伝説で、今でも「ママ子台」と呼ばれる岩場が残っております。

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