まもなく東平安名岬に到着いたします。ここは宮古島の最東端に位置し日本百景に選ばれるほどの、すばらしい景観が魅力的な宮古島を代表する観光地でございます。
さて、これから少しこの岬に伝わる傾国の美女マムヤの悲恋物語についてお話申し上げましょう。
昔、保良村にマムヤという、それはそれは美しい娘がおりました。マムヤは余りの美しさのため村の若者を始め、近在近郷の男達がマムヤを一目見ようと人垣を作ったほどであるといわれております。
ある日、野城の按司、崎山の坊という人は魚釣りにことよせてマムヤに会うことができました。野城の按司といえば当時一国一城の主として今の城辺地方を治めていた人であります。
彼は妻も子もありながら、マムヤに言い寄って来たのであります。マムヤもだまされていることを知らずに、野城の按司、崎山の坊に身を許すようになりました。
ある日のこと、崎山の坊はマムヤを連れておじさんの家を訪れ、マムヤの美しさを自慢したのでございます。
「おじさん、わたしの妻のにおいは小便のにおいがするが、どうですか?マムヤのにおいは香水のにおいだ」と自慢いたしました。
するとおじさんは、崎山の坊をさとして言われました。「今はマムヤの方が良いのかもしれないが、年がたつに連れて、子供の母親である君の妻の方が良いということにお前も気づくことでありましょう。」と・・・。
このやりとりを聞いてしまったマムヤは、自分がだまされていることに気がつき、おじさんの家を飛び出して東平安名岬へ身をかくしてしまいました。
マムヤは傷心のまま、東平安名岬の洞窟の中に身を隠し、その中で機を織って一人暮らしたということであります。
野城の按司は、マムヤのことが忘れられず毎日毎日、マムヤを探して東平安名岬をさまよい歩いたのでございました。そして機を織る音を聞きつけて北側の岩壁に立ちますと、音は下から聞こえてくるのです。
下へ降りてみると、今度は上から聞こえてきました。不思議に思って探し回るうちに、とうとう崖の中腹にある洞窟の中に機を織っているマムヤをみつけました。
マムヤは二度と会うまいと思っていた人に見つけられ、もはやこれまでと崖のうえから身を投げたということであります。
そのときマムヤが身につけていた衣が岩の端に引っかかって、北風が吹くと南になびき、南風が吹くと北へなびいて、人々の哀れをさそったということでございます。
その後野城の按司、崎山の坊は泣き暮らして政治を怠り、野城に栄えた城も滅びてしまったと申します。
さてマムヤが身を投げて死ぬとき、自分が美しさの故に味わった不幸せを、せめて村の娘達だけには味あわせたくないと思い、この保良村には美しい娘が生まれないようにと神に祈って、身を投げたということでございます。
そのため、保良村には美しい娘は生まれないと言い伝えられておりますが、いやいやどうしてどうして!保良村は宮古でも一番美しい娘さんの多いところでもございます。
それでは、マムヤの願いは叶えられなかったなかと申しますとそうではありません。何事にも裏と表があるものでございます。マムヤはこの呪いをかけた後、ただ一つだけ呪いの除けの方法を残したと言われております。
それは、この東平安名岬の芝生の窪みにたまった水が満月を浮かべて光り輝いている時、妊婦がその水を手ですくって飲むと、マムヤの呪いはすべて消え去ると言うことでございます。
きっと、保良村のお母さん達は、満月の夜、我が子が美しくあれしかと祈って、この東平安名岬で月を浮かべた美しい自然の水を飲んでおられることでしょう。
お話ししている間に東平安名岬へと参りました。バスの左手あたりが、マムヤの隠せいしたところで、前方の巨岩に穴があいているのが見えます。あれがマムヤの墓でございます。
さて灯台の向こうに広がる水平線をごらん頂きたいとおもいます。昔、ローマやギリシャ等のお偉い学者さん方が、地球は丸いと言って牢屋に入れられたというお話が御座いますが、みなさんいかがでしょうか?
地球が丸く見えませんでしょうか?きっとそのころの宮古島の人たちにこの話をしますと声を上げてわらったのではないでしょうか。なぜなら宮古の人たちにとって地球は丸く見えるからです。
水平線が直線だなんて言っても信じてくれなかったことでしょう。ごらんの通り水平線は円を描いているのです。宮古の人たちにとりまして地球はとにかく丸いものであったわけでございます。
そこからニライカナイの信仰が生まれ、世積み綾船の伝説が生まれてくるのです。この信仰も、世積み綾船伝説もすべて水平線の彼方の楽園を夢見て生まれたものでございます。